「ちゃんと作らなきゃ」という呪い。毎日の食事作りという重荷から解放された3つのステップ

その重荷、もう下ろしませんか?

食事作りが「しんどい」あなたへ贈る、心が軽くなる3つのステップ。

はじめに:あなたも「ちゃんと作らなきゃ」の呪いにかかっていませんか?

今日の夕食、スーパーで買ってきたお惣菜を並べただけだった…。
最近、野菜が足りていないかもしれない…。
本当は、もっと栄養バランスの取れた、温かい手作りの食事を用意してあげたいのに…。

仕事や家事、子育てや介護。日々の生活に追われる中で、ふとした瞬間に頭をよぎる、食事に関する小さな罪悪感。あなたも、そんな気持ちに胸が締め付けられることはありませんか?

こんにちは。「宅食比較ラボ」を運営しているケンジです。

何を隠そう、私自身が、この「ちゃんと作らなきゃ」という見えない呪いに、長らく苦しめられてきました。特に、料理経験ゼロの私が59歳で母の介護に直面した時、その罪悪感は、私の心をじわじわと蝕んでいきました。

この記事では、そんな私が、どうやってその罪悪感という名の重い鎖を断ち切り、心穏やかに食事と向き合えるようになったのか。そのリアルな心の軌跡を、3つのステップでお話ししたいと思います。これは、専門家が語る立派なアドバイスではありません。一人の当事者が、もがき苦しんだ末に見つけ出した、ささやかな、しかし確かな希望の物語です。

ステップ1:完璧な手作りという「理想」を、思い切って捨てる

母の介護が始まり、私が毎日の食事作りを担うようになってから、食卓に並ぶのは決まって同じメニューでした。冷蔵庫にある野菜や肉を、ただひたすら煮込んだ「具だくさん味噌汁」。そして、たまに作るカレーライス。料理経験のない私にできるのは、それが精一杯でした。

もちろん、それだけではいけない、という焦りは常にありました。スーパーに立ち寄っては、少しでも品数を増やそうと惣菜を買い足す。しかし、そのパックの裏に並ぶ、見慣れないカタカナの添加物を見るたびに、胸がチクリと痛むのです。

「こんな食事で、本当に母の身体は大丈夫なのだろうか…」

言うことを聞いてくれない母への苛立ち。シンクにたまっていく洗い物の山。そして、仕事ができず収入が途絶えたことへの、出口のない不安…。心に余裕がなくなればなくなるほど、「食事くらいは、ちゃんと手作りしなきゃ」という理想だけが、鉛のように重くのしかかってきました。

私を救った、たった一つの気づき

そんなある日、疲れ果てて何も作る気になれず、ただご飯と味噌汁だけの夕食を前にして、ふと思ったのです。

「100点満点の食事を、月に一度だけ無理して作ることに、何の意味があるのだろう?」と。

それよりも、たとえ30点の食事でも、毎日欠かさず、作り続けることの方が、よほど大切なのではないか。いや、30点ですらないかもしれない。それでも、母の前に温かい食事を用意し、「さあ、食べようか」と言えること。その「継続」こそが、今の私にできる最大限のことなのだ、と。

その瞬間、肩の力がスッと抜けました。完璧な手作りという、高すぎる理想を追い求めるのをやめる。それが、私が罪悪感という呪いから解放されるための、最初の、そして最も重要な一歩でした。

ステップ2:自分の時間を「聖域」として、断固として守る

食事の準備は、調理の時間だけでは終わりません。献立を考え、冷蔵庫の中身を確認し、スーパーへ買い物に行き、そして、食べ終わった後の膨大な後片付け…。料理が苦手な私にとって、それは1日の中で最も気力と時間を奪われる作業でした。

「この時間があれば、在宅の仕事を探せるのに…」
「この時間があれば、少しでも横になって身体を休められるのに…」

そう思いながらも、「食事のためだから仕方ない」と、自分の時間を削ることを当たり前のように受け入れていました。しかし、それは間違いでした。自分の時間を犠牲にすることは、自分の心を犠牲にすることと同義だったのです。

「時間をお金で買う」という発想の転換

介護生活を通じて、私はケアマネージャーさんや専門家の方々から、様々な公的サービスや福祉用具について教えていただきました。それらの力を借りることに、私は何の抵抗もありませんでした。むしろ、積極的に頼るべきだとさえ思っていました。

では、なぜ「食事」だけは、自分でやらなければならないと思い込んでいたのでしょうか。

それは、心のどこかで「食事作りは愛情表現であり、それを他人に任せるのは手抜きだ」という、古い価値観に縛られていたからに他なりません。

しかし、自分の心がすり減り、笑顔が消えてしまっては、元も子もありません。自分の時間を守ることは、自分自身を大切にすること。そして、そこで生まれた心の余裕こそが、結果的に、母への優しさや、より良い介護に繋がる。そう気づいた時、私は「時間をお金で買う」という考え方を、初めて肯定的に受け入れることができたのです。

ステップ3:「プロに頼る」ことは、手抜きではなく「賢明な選択」だと知る

ステップ1で理想を捨て、ステップ2で自分の時間を守る大切さに気づいた私が、最後に行き着いたのが、この3つ目のステップです。

私たちは、病気になれば医師という「医療のプロ」に頼ります。髪が伸びれば、美容師という「美のプロ」に頼ります。介護で困れば、ケアマネージャーという「介護のプロ」に頼ります。それは、ごく当たり前の、賢明な判断です。

では、食事はどうでしょう。

栄養バランスを考え、美味しく調理し、毎日提供し続ける。これは、紛れもなく高度な専門技術を要する**「食のプロ」**の仕事です。

宅配食は「外注(アウトソーシング)」という、賢い選択肢

私が「宅配食」という選択肢を真剣に考え始めた時、最初はやはり「手抜き」や「楽をする」という言葉が頭をよぎりました。しかし、今は全く違う考えを持っています。

宅配食を利用することは、「食事作り」という専門業務を、その道のプロに「外注(アウトソーシング)」すること。

それは、手抜きなどでは断じてなく、限られた自分のリソース(時間・体力・気力)を、自分にしかできないこと(母との対話や、仕事探し)に集中させるための、極めて合理的で、賢明な経営判断なのです。

私たちは、介護の当事者であり、仕事人であり、一人の人間です。全てを完璧にこなす必要など、どこにもありません。食事は、食事のプロに任せたって、いいじゃないか。そう心から思えた時、私の目の前は、大きく開けました。

まとめ:罪悪感から解放され、あなたらしい食卓を

ここまで、私の個人的な心の軌跡にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

もし、かつての私のように、「ちゃんと作らなきゃ」という罪悪感で心が押し潰されそうになっているのなら、どうか思い出してください。

「ちゃんと作る」の正解は、一つではありません。

完璧な手料理だけが、正解ではない。栄養バランスの取れた惣菜を選ぶのも、賢い選択です。そして、プロの力を借りて、自分の時間を守ることも、同じように素晴らしい選択です。

何よりも大切なのは、食事を用意するあなたの心が、笑顔でいられること。その穏やかな心が、食卓を何よりも豊かにする最高のスパイスになるのだと、私は信じています。

このブログでは、その賢い選択肢の一つである「宅配食」について、これからも私のリアルな体験を通して、正直にレビューしていきます。私の試行錯誤の記録が、あなたの心を少しでも軽くするための一助となれば、幸いです。

2025年8月26日